プロフィール

Profile

音楽プロデューサー・ボイストレーナー。

熊本県出身。

神奈川県葉山町在住 慶応義塾大学文学部を卒業後、日本ビクターに入社。入社1年目に内臓を2つ摘出する大手術を受け、生死の境から帰還する。

その後、リット-ミュージックを経てNECアベニューで音楽プロデューサーとして活動。

1992年に日本レコード大賞企画賞受賞作品「和美(わび)」のアーティスト、スーザン・オズボーンはじめクレヨン社、ハミングバード、東義孝他、多数のアーティストのCDを企画・制作する。

1994年フリーの音楽プロデューサーとして独立 アーティストのCD製作、NHKアニメの音楽製作、舞台・ミュージカルの音楽製作、音楽監督などに取り組む傍ら、自らもコンサート活動を開始。

1996年ファーストアルバム「今を生きる人よ」、1998年セカンドアルバム「君に会いたい」をリリース。

2002年、元ハミングバードの福山芳樹と「WILDVOX」を結成し、アルバム「野生の風」をリリースする。  

現在、ボイストレーナーとして「気持ちいい声」を引き出すボイスセミナーや音楽セミナーをプロだけでなく、企業や一般個人向けにも全国各地で行う。

また、小学校、養護学校、病院等でコンサート活動を行うかたわら、アーティストのCDプロデュースやコンサートのサウンドプロデュース等、幅広く活動している。

History~人間手遅れはない。

(2005年3月(株)シンクロニシティジャパンより資料提供)

自然体で生きるようになったきっかけは?

牛島正人(以下牛島と略):

抜け出さざるを得なかったんですね。僕はいわゆるエリートコースを歩んでいました。

日本では、エリートコースが一番お金に支配される側かもしれませんね。そういう点に気づかないで、一流大学入って、一流会社行って一年半でぶっ倒れました。倒れたときは、もうあと一ヶ月の命という状態でした。頑張ると、倒れるところまで行っちゃうんです。

手術が成功してから、「余命一ヶ月だった」とお医者さんが教えてくれたんです(笑)。手術で取っているので、今も内臓が二つありません。あれから25年くらい経っていますが、僕ほど健康な人見たことありません。内蔵のある人より健康です(笑)。

普通あと一ヶ月の命といったら、そのまま死んじゃいますが、生き延びたんですよね。それから藁をもすがるように色々な人に会いました。いつ死ぬか分からないから、出生してマイホーム建ててお金持ちになってなんてやってられない。やりたいことをやろうと、すぐにまた音楽を始めました。

 

スーザン・オズボーンさんのプロデュースをするきっかけは?

牛島: ある有名なアカデミー賞をとった映画を見たとき、自殺したいと思ったことがあります。

その映画は常に正義をかざし、戦おうとしていました。そんな映画に感動している自分が許せなくて、涙が止まりませんでした。

当時、僕は音楽を通して地球環境に貢献する活動をしていたのですが、自分の物の見方、つまり「自分が正しい」という勘違いが地球を壊していることに気がついちゃったんです。そして、本当の環境運動って僕がいなくなることかもって想いました。人間だけですから、地球を壊しているのは。自殺を考えたのは、そのときだけですね。
でも、「自分が死んで何が変わるんだろう?」と思ったら、何も変わらないんですね。そのとき「もし死んでも変わらないなら、自然のため、地球のためにこの体を使って欲しい」と祈りました。

その一ヵ月後にスーザン・オズボーンに出会いました。

同じ頃、彼女も音楽業界が嫌で、NYのレコード会社を辞め、自然の中に住み始めたところでした。彼女も「私の声や才能を地球のために使わせてください」と偶然お祈りしていたんです。僕らは湯川れいこさんの紹介で出会いました。それで出来たのが、「和美(WABI)」(ポニーキャニオン)というアルバムです。このアルバムは1992年にレコード大賞の企画賞を受賞しました。「和美」の中の曲は地球交響曲やTVのコマーシャルにも使われ、色々なシンクロニシティに導かれていったんです。

 

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